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# エッセイみたいな。 # ラフな数学 # 書評とか。

『「集合と位相」をなぜ学ぶのか 』

Ritsuki

2021/09/13

この記事を読んでいるということは、おそらく「集合と位相」の単元の難解さに困っているか、相当なわんみんのファンか、のどちらかだろう。

それくらい数学に馴染みのない人には惹きのないタイトルである。

でも、やっぱり現代数学をやるうえでは欠かせない武器。

それが集合論、そして、位相である。

どうしても具体的な対象が見えにくいので、とっつきづらい分野だし、「あー、これが大学数学か」と思い知らされる難解さだ。

工学徒である高専生は普通接することがないのだが、僕は数学好きが高じて内田先生の本で『集合と位相』を学んだことがある。

抽象的な議論に相当苦労させられたうえに、後半になればなるほど、この議論が何に役立つのか、何が好きでこれをやっているのかわからなくなっていった。

幸い、「我慢して学ぶ」姿勢はいつからか身についていたので、何の役に立つのか不明な宙ぶらりん状態ではあるものの、一通り証明は追うことができた(つもりである)

でも、やはり、正しい理解には、その先の展望を知ることが不可欠である。上に手を伸ばせば、正しく地に足がつく。

そんな「集合と位相」という「因果な科目」に灯火を与えてくれるのがこの本である。

『「集合と位相」をなぜ学ぶのか ー数学の基礎として根づくまでの歴史』藤田博司。

前から気になっていて、読みたいなとは思っていたのだが、なかなかその機会がなく、この前ようやく購入し、読了した。

数学の教科書ではなく、読み物としての立ち位置を想定して読み始めたのだが、思いのほか数式が登場して、大きくその立ち位置の見直しを迫られた。

(一般大衆向けの読み物として売ることを狙っているなら、初っ端から熱伝導方程式を登場させるのは愚策だろう)

この本は、「集合と位相」という科目を、他との関係の中で捉えるれっきとした「数学書」である。

およそ通常の教科書は、集合と位相という分野に対しスポットライトを当てるだけで、そのライトの周囲は真っ暗闇である。

しかし、この本は、周囲との関係性で「集合と位相」を語っている。いわば淡い光で全体を照らしてくれる本である。

どういう経緯でこの分野が発展してきて、何を目指して数学者たちが研究してきたのかがわかる。

しかし、もちろん、数学の教科書とは違い、証明が省かれている箇所(証明が載っている箇所がある方が驚きなのだが)もある。

ただ、それでも、定理や定義は別行立てで書いてあり、数学史的な観点を盛り込んだ集合と位相の数学書となっている。

数学にドラマがあることは、フェルマーの最終定理なり、ガロアの生き様なりで多くの数学ファンが存じていることとは思うが、他ではみられないドラマがこの本では描かれている。

数学史のドラマは、その人間性や情熱に焦点が当たることが多い。

この本は、それに加えて、数学界全体が直面した問題や、その解決へのアプローチなど、「こういう展開でこの概念が生まれたのか」や「学ぶのはこの順番だけど実は成立はこの順番なのね」といった気づきが豊富である。

さらに、集合論、位相論にとどまらず、測度論、ルベーグ積分、数学的「構造」まで言及がなされていて、広大な数学の歴史書を読んだ気分である。

集合と位相でつまずいた方、大学数学の雰囲気をみてみたい方、現代数学の歴史をみてみたい方、、、

「集合と位相に生命が吹き込まれる」姿を見たい方はぜひ手にとって読んでほしい。

適当にまとめました。