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# エッセイみたいな。 # 書評とか。

t 軸に関するちょっとした考察『時間の言語学』

Ritsuki

2021/10/07

時間はどちら向きに流れるか。

多くの人は、というか、大抵の人は「過去から未来」と断言すると思う。疑いすらもたなかった質問であろう。

しかし、本当にそうだろうか。

まず、「我々」は過去から未来へと動いている。これは納得するはずである。

「未来へと一歩を踏み出す」というし、「過去は振り返る」し、「前を向いて」未来を思索する。

さらには、未来の予定は「be going to」だし、人はいずれ「逝く」。

しかし、時間は?

これらの疑問を主題として、「時間」について徹底的に言語の立場から追究したのが瀬戸賢一著『時間の言語学 ーメタファーから読みとく』である。ここまでの例はすべてこの本からの引用である。

まず、第一の読後感だが、こんなに豊富な用例出てくるのすごいな、と思った。(小学生みたいな感想でごめんなさい)

「あー、確かにそういうわ」とか、「これ深く考えればそうだな」みたいなバシッと的を射る例が次から次へと出てくる。

その感覚を味わえただけでも、この本を読んでよかったと思うし、この本を読むべきである。

というわけで、話を戻そう。

過去から未来へと続く我々の動きに対して、確かに時間は同じ方向に進んでいるか?

10年過去を我々は10年「前」という。そろそろ冬がやって「来る」ともいう。

時間が静止しているものだと考えても、相対的に時間は「過去から未来へ」と進んでいるとみるのがこの言語感覚ではないか。

ボールは進行方向が前だし、投げられたボールは自分の方へとやって来る。

たとえ、ボールが止まっていても自分が進んでいれば、ボールは我々に向かう方向が前である。

英語でも、未来の予定は、”forthcoming” (前に来る) だし、近くのデパートの開店の案内には “coming soon” と書かれている。

ただ、やはり腑に落ちないという場合もある。(というか、僕もまだその状態)

なぜか、我々は言語を使いながらも言語を見つめずに、「過去から未来へ」という感覚のまま生きている。

その「常識を疑う」視点を入れてくれるのが、ほかでもない身近な言語なのだから、新鮮で鮮やかである。

この本は、そうした時間の「流れ」だけでなく、「時間を使う」や「時間を浪費する」といった言葉の使い方の正体についても迫っている。(こちらの方も大変面白いので読んで欲しい。キーワードは「〇〇」からの拝借である。)

時間という抽象的で捉えられないものを身近なものから例を拝借して親近感をもたせる「メタファー」についても深い解説がある。

そういう点では、数学や物理の抽象的な概念を捉える手法も似てるなと思ったところである。

そうして、この本は途方もなく大きな結論・提言へと向かう。

そこで、この記事としても、タイトルに挙げている、「 t 軸」の問題について一考してみたい。

理系民は、時間を t とおいて、よく横軸を t にとり、t が大きくなる方向を未来、t が小さくなる方向を過去(もしくは現在)としている。

これは、どういう思考の上での考え方か。

ふつう、軸をとるときには、増加する方向を正として、つまり「通常の向き」として捉える。

変化の割合は、yの増加量分のxの増加量だし、「5減少した」は「−5増えた」と考える。

ということは、この t 軸において、時間は未来へと進んでいる方向にとっていることになる。

いや、時間の進む向きとの整合性をとるという点では、「自分自身の動き」を反映していると考えても良いかもしれない。

つまり、t 軸は時間軸ではなく、我々の動きなのである。

ここでいう動きとは、物理的な動きではない。

我々は静止していても、有無を言わさず未来へと連れていかれる。

ある時間(ここでは現在として)の点を原点に据えれば、その1秒後は t=1 の瞬間である。(後と言っているのに、t = 1 の点は原点から見て前にあるのは改めて少し不思議)

だから、t=1 というのは時間が 1 移動したのではない。

t=1 というのは「我々」が 1 時間的に移動したのである。どうしても時間が移動したと言いたいなら、軸を逆にとるべきだと思う。

かといって、この結論をそのまま受け入れるのは、難しい。(し、言語的考察のみなので、そのほか物理的・哲学的アイディアも交えたいところ)

我々は言葉を発したその瞬間から、無意識に言語を使って時間を語ってきているので、その言語感覚と普段の時間感覚に乖離が生じると、大変混乱する。

公理を甘く設定しすぎて、破綻した体系みたいである。

でも、だからこそ、言語はおもしろいと思う。

考えれば考えるほど、混乱してくるし、「あれ、本当にそうだったっけ?」の感覚が目白押しである。

そして、考えれば考えるほど、時間の迷宮にはまっていく。

ただ、ここでもやっぱり時間は「過ぎ去っている」のである。

適当にまとめました。