今日は「アンチョビに世界をひっくり返された話」をしようと思う。
正確には、僕の無知のせいで 世界がひっくり返ったかのように思ったのだが、まあとにかく、今日、僕の中で、世界がひっくり返った要因はアンチョビである。
これを説明するためには、これから僕の無知を公共のネットワークを使って晒しまくる必要があるので、「なんだこいつ馬鹿だな」とか思わずに温かい目で読んでほしい。
ところで、みなさんは、アンチョビを正確に把握しているだろうか。
残念ながらWikipediaには「アンチョビ」という項目が立項されていなかったので、最も関連のある「カタクチイワシ科」のwikiを貼っておく。
https://ja.wikipedia.org/wiki/カタクチイワシ科
僕はアンチョビについて正確に把握していなかった。
たまに料理番組で耳にしたり、イタリアンレストランで「アンチョビの〇〇」と書いてあるのを目にしたりした程度だった。
だから、僕はアンチョビを「ペースト状の調味料」だと思っていた。
恥ずかしい限りである。
だから、僕の分類学では、アンチョビは、豆板醤やしょうゆなどと同じくくりに属していた。
つまり、 アンチョビ ∈ {x | xは調味料} である。
(wikipediaには「日本では特に塩蔵品にした食品を指すことが多い。」と書いてあるから僕のこうした勘違い仲間もいるのではないか?という淡い期待を言い訳として述べておく)
ここまでが僕の持っていた昨日までのアンチョビに関する前提知識である。
そんな状態の僕に、
「今日、あつもり(あつまれどうぶつの森)してたら、アンチョビが釣れた!」
と(わんみんの動画を編集してくれている)編集さんが言ってきた。
ん?ん?ん?
アンチョビを釣る? 釣るって何???
アンチョビはペースト状の調味料だと思っていた僕は呆気に取られた。
せめてもの解釈として、アンチョビのペーストの容器や缶みたいなものがあつまれどうぶつの森の海には流れていて、それを不幸にも釣ってしまったのかもしれない。とも思った。
平和なゲームにしてはずいぶん汚い海だな、と。
そこで一旦友人を制し詳しく話を聞くと、
どうやらアンチョビは魚らしい。
衝撃のカミングアウトである。
19年間生きてきて、ペースト状の調味料だったアンチョビに、手が生え足が生え(魚だから手も足もないんだけど)、挙げ句の果てにアンチョビは海の中を泳ぎ始めるのだ。
この世界には、アンチョビが泳いでいる海がある。そして、どうぶつの森の中にも。
なんたる衝撃。
本当に世界がひっくり返った感じだった。もしかして、アンチョビが泳いでいるのは、僕の違う世界線か?とまで思った。
やばいやばいいってもしょうがないので、一応、理系の学生として、何がそんなに「やばい」のか理屈っぽく分析しておくと、やはり「アンチョビに使える動詞が一変した」ことによる衝撃が最も大きい。
昨日まで、アンチョビは使い、アンチョビは食べ、アンチョビは加えるものだったのに、
今日から、アンチョビは泳ぎ、アンチョビが食べ、さらには、アンチョビは呼吸しているのだ!
衝撃的なのでもう一度言おう。
アンチョビは泳ぎ、アンチョビは食事をし、アンチョビは呼吸をしているのだ!
そんなばかな。
やはり人間、今まで何気なく使ってきた用語でもその用語に対する印象の影響は大きい。
そして多分、名詞に限って言えば、その対象のイメージや概念的な形は、その名詞とコロケーションのいい動詞で決まるのだろう。
だからこそのこの衝撃である。
もしかすると、19年間そういった表現に触れることのなかった自分の運のなさを恨むべきなのかもしれない。
だとしても、なんで、学校の先生や両親は、アンチョビをそうした生物なのだと教えてくれなかったのか。。。
昔、中学校の社会の先生が「砂漠なんて言ったことないから本当にこんなものがあるのかわからんよな」と言っていたのを思い出す。
もしかしたら、教科書からテレビの映像、ネットの画像まで、砂漠があると信じさせているのかもしれない、と。(無論、冗談)
でも、今の僕は、「アンチョビが泳ぐ」ということを信じさせられているのかもしれない。
だって、今のところ、アンチョビが泳いでいる海を見たこともないし、アンチョビを釣る漁師を見たこともない。
もっというと、アンチョビが泳いでいる姿を描いた本も映画も見たことがない。
でも、しばらくネットでアンチョビの画像を見ているうちに、だんだんと 「アンチョビ ∈ {x | xは魚}」 という事実を受け入れてきた。
こうして、アンチョビが魚であるという事実は僕の中の当たり前としてこれから浸透していくのだろうが、
その事実を知った時のあの衝撃といったら忘れられない気がする。
自分は大真面目になんの話をしているのだ、という感じなのだが、
力技で「無知は恥ずかしいけど、もしかするととてつもない精神体験をさせてくれるかもしれない」という教訓に昇華させておこう。(仮にも教育系のサイトだから)
だから、その精神体験のために、学び続けよう。(これでいいのか?)
とにかく、誰か僕をアンチョビの泳いでいる海に連れて行って。(もしかしたら世界が僕を騙そうとしているのかもしれないから…)