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# 書評とか。

『君たちはどう生きるか』書評

Ritsuki

2021/04/11

現代の一時的なベストセラー本というのは好きではない。どこかそれらは短絡的で、行列が連鎖的に増えていくような単純な発想によるものだと感じざるをえない。そして、その感は確かに間違っていないことをそれらの本を読ん だ時に実感する。ただ、古典は別である。確かに、古典も文字通りベストセラー本である。たくさんの人の手に渡ってきた。だが、その時間の⻑さが問題である。古典は何十年、いやはや何百年と生き残ってきた文章の蓄積なのである。 外山滋比古氏の言葉を借りるなら「時の試練」をくぐり抜けてきた先鋭が集まっている。

前置きが⻑くなったが、そういう意味で本書は特殊な例ではなかろうか。何十年と生き残ってきた古典でありながら、現代のベストセラー本でもある。漫画化されたというのがその大きな要因である。また様々な場面で紹介され、新版が出版され、大きな社会的ムーブメントを巻き起こしたと言っても過言ではない。

そんな本書『君たちはどう生きるか』に僕が出会った経緯から話すことにしよう。初めてこの名前を知ったのは、テレビだったか、新聞だったか、書店で目にしたのか‒‒‒それは定かではない。ただ、漫画が出版され、大人気となっているという情報はどこからか目に、耳にしていた。そして、入院中の祖母の見舞いに行った時、偶然、その漫画に出会 う。祖母が読んでいたのだ。僕は時間の許す限り読んだ。とても啓蒙に満ちたものであり、感銘を受けた。そして、原書で読みたいという思いを強くした。校⻑先生の集会の話にも上がり、学級文庫にも置かれた。ますます読みたいという渇望が強くなったのだが、そこから時は経つ。大きく時を過ごしたのは、どこかベストセラー本を敬遠する僕の好き嫌いが原因だったのかもしれない。そんな折に『ソクラテスの弁明・クリトン』を読み終え、古典を読みたいと感じた。書店に行くと、本書が目に入った。そうして、読み始める。以上が僕と本書の主な出会いである。

読み始め、「面白い」と素直に思った。主人公コペル君の純粋さと叔父さんの啓発に、何度心を動かされたことか。 人間、どう生くべきか。人間、どう在るべきか。その根本を問いかけようとする本書の主題と、それに逆行するのではないかとも思わせる平易で優しい文体に大きな感銘を受けた。

価値観の押し付けほど嫌なものはない。ライフネット生命社⻑出口氏はそう語っていたが、僕も同じ想いである。 価値観の押し付けほど嫌なものはない。価値観とは自分がどこに重きを置くかであり、そこには自分自身の個性が垣間見える。そのため、相手の価値観を否定し、自らの価値観のみ真理だとするのは間違った考え方であると僕は思う。だから、下手な自己啓発本や道徳本は好きになれない。

ただ、本書は例外であった。ある種、文学として成立しているため、そこから何を感じ取り、何を得るかは読者自身に委ねられている。そのため、著者は一貫して、我々に問いのみを与えている。‒‒‒‒コペル君の行動から感じ取れる問い。周囲の言動から得ることのできる問い。叔父さんのノートに記されたコペル君への問い。我々に直接問われてい る問い‒‒‒‒ 僕たちは一読者として、それらの問いに応えていかなければならない。ただ、答えなど、無論存在しない。 コペル君の言動や叔父さんのノートから感じ取り、自分がこうだと信じる価値観が全て答えなのだと思う。

その際、決して、思考は放棄してはならない。読んで終わり、理解して終わりでは、明らかに著者に対して失礼ではないか。著者は、戦争に向かっている日本にある中で、常識だとされていた価値観に児童書という形で訴えかけた。 「今は関係ない」ではない。現代にも通ずる様々な人生論が秘められている。そして、我々はそれらに対して、深く考え続け、現代を生きる必要がある。それが著者の訴えに応える唯一の方法なのではないか。

天動説から地動説へ。真実の経験。本当に人間らしい関係。人間であるからには。英雄。自分で決定する力と誤り。 叔父さんのノートから知識を得て、コペル君の考え方・経験から僕たちが感じたものには必ず価値がある。

そして、それは実技的で実質的な、それでいて根源的で大きな一つの問いにつながっている。改めて問おう。

‒‒‒‒ 我々はどう生きるか。

 

君たちはどう生きるか』吉野源三郎(岩波文庫)

適当にまとめました。