家に『新・数学の学び方』(小平邦彦 編、岩波書店)が届いた。ずっと各地の本屋を探して巡り歩いていたのだが、どうにもこうにも出会えず、「ほしい」という気持ちは日に日に強くなっていくばかりだったので、Amazonか楽天か何かで注文した。そして、それが届いたわけだ。
偉大な数学の先生方の「数学の学び方」についての助言というか、講義というか、、、に、もう圧倒されまくりで、毎日噛み締めながら読んだ。中には、大学数学以上の知識を仮定して話を進めているものもあり、やむなく文字だけ追う部分もあったが、どれもこれも、素晴らしい記述ばかりであるから、ここでは、先生方の記述をもとに、「数学の学び方」について、書いていこうと思う。
まず、僕は工学を学んでいる立場にある。今後、どのように進むかはまだ未定であるが、工学なら数学は適当でいいや、とか思うのは大間違いである。
「これからの科学・応用科学(工学も含める)の研究者となることを志す人達は、必要な数学を活用できる意味での数学的リテラシーを身につけておくことが望まれる。」「ありきたりの数学では足りないことを知り、その専門の価値観や手法にマッチした数学を開拓する覚悟で臨むべきである。」–藤田宏
現在、様々な分野への数学的手法の応用がめざましく、どの分野においてもその応用面を数学的にさらにさらに深めていく必要があるのだ。そのためにはやはり「ありきたりの数学」、適当な数学では足りないのである。また、次のような側面も求められる。
「ほとんどあらゆる現象の背後には何らかの数学がひそんでいます。当然ながら、数学的なものの見方をすることによって現象から引き出せる潜在情報量は厖大であるに違いありません。しかし数学的構造がどこかに存在しているとわかってはいても、実際に構造を見いだして具体的な問題として定式化し、さらにそれを解くことによって有益な情報を導き出すためには、知識と修練と努力が要求されます。」—宮岡洋一
つまり、物理や工学などでは、日常生活や自然現象を解析し、それに適合するように研究・開発を進める必要があるのだが、その現象の解析と定式化に多大な努力が求められる。数学的知識を学ぶだけではなく、その数学的知識をいかに応用するのか、というのが重要になってくる。現象を定式化したら、その数学的記述を”解く”という作業が求められる。これは、大学受験や定期試験などでも日々、鍛えている能力であるが、そのためには、
「与えられた問題をいいかえて別の形に直すことを先ず試みてみる。いくつもの形にいいかえられることもあるし、なかなか別の形に直せないこともある。しかしうまく自分と相性のよい形に直せると、興味も深まり、少し実験を繰返しているうちに問題が解けて、充足した満足感が味わえることになる。」–岩堀長慶
ということがかなり効いてくる。同値変形とも言われるこの手法であるが、Aの命題を示すためには、Bを示せばいい。Bを示すには、Cを・・・、と、自分の馴染みのある問題に帰着させるのである。そうすることで、全く関連のなさそうなところのつながりが見えたり、問題が簡単に見えてきたりする。数学の問題と問題の間を飛び回るのである。
さて、ここまで応用面について話してきたが、とはいっても、やっぱり「数学を厳密に学ぶ」ことは欠かせない。
「数学の学び方として挙げることができたのは、結局、わからない証明は繰り返しノートに写してみること、別証を考えること、定理をいろいろな問題に応用してみること、という誠に平凡なことばかりである。幾何に王道なしというが、数学に王道なしということであろう。」— 小平邦彦
数学を学ぶのに王道はない。地道にまっすぐひたすら突き進むしかないのである。
「演繹的体系は、古くはユークリッドの”幾何学原論”以来の数学学習の体系であるが、ニュートンの天体運動を初め、数学の重要な発見や進歩は帰納的方法によるものである。数学の学習は演繹的方法によるが、数学の発見は帰納的方法によるというのは、一種の二律背反である。」–河田敬義
問題の定式化や問題解決法の発見は帰納的だが、やはり、数学は定義と定理による演繹的な綺麗な体系である。すべてが論理によって組み立てられていて、そこには一切の予断も許さない。
「やはりとにかく論理をきちっとフォローするということが第一歩である。この部分で手を抜いてはまったく何も身につかない。」 「良い方針は、すべての定義や証明を何も見ないでノートに書いてみることである。」 —河東泰之
だからこそ、論理を一番の足がかりにして、一歩一歩進むことが肝要なのである。ただし、
「正しいことが確認できる、というのと、理解する、というのが同じことではないからです。」「ただの音符のつらなりから「歌」が聞こえなければ、よい演奏はできないように、論理のつらなりから、「歌」を読み取って感動すること、これが理解することなのだと思います。」—深谷賢治
である。つまり、論理だけを頼りに進んでいても、それが本当に「理解」につながっているのかは確かではない。そこで一つの手がかりになるのが、この定義・定理は、論理を用いて、どのような対象を捉えようとしているのかを把握するという姿勢である。
「数学を学ぶときに、対象の原点にもどってそこに含まれている「もの」は何であるかを確認し、正しいイメージを持つということの例として、オイラー数とベクトル場の特異点の指数の場合について述べてきた。他の場合についても、本に書かれている「こと」にまどわされることなく、常に書かれている「もの」を直視し対象についていきいきとしたイメージをもつことが重要である。」「 正しいイメージには論理が必ずあとからついてくる。」–田村一郎
数学の対象はいつもいきいきとしているのである。論理は、数学に対象を固定するが、必ずしも自分自身の数学の把握がその論理によるものではないことは押さえておかなければならない点である。そして、論理で迷子にならないために、次の点を噛み締めよう。
「理論を理解するための一つの重要な点は、理論全体がどのように組み立てられているかを理解することである。 学習の途中では全体の構成まではわからないかもしれない。しかし、それを絶えず念頭におきながら進むことが大切である。そうでないと、だんだん迷路の奥深くにはいりこんでゆくのと同じ状態になる。」「学習の各段階を、いつも完全な透明度で明晰に理解し、着実に一歩一歩前進することの大切さである。」–服部晶夫
とはいっても、人間そこまで数学の道をひた走ることはできない。
「わからないもやもやしたものを抱え込んで疑問を育てる、あるいは、自分で証明を再構成してみる、ということは感覚的な深い理解を獲得するための有効な方法であると思います。とりわけ、今とりかかっている本の中身が濃いと感じるときは、証明を論理的に理解し、いくつかの例を検証すると同時に、ときおり、白紙の状態で学んだことを再構成しようと試みることをお勧めしたいと思います。」–小林俊行
もやもやしたものを抱え込んで、適度に後ろを振り向きながら、立ち止まりながら、ゆっくりと進む。決して生き急ぎすぎないことも大事な要素である。その過程は、明晰な数学の捉え方・学び方につながる。ここまでくれば立派なもので、次の段階に進む。
「数学を自分の中に根づかせようとするならば、次は丸暗記でなく、自分にとって数学的に意味あると思われることと、そうでないことを選り分けて、あとのものは捨て、自分なりの数学を作ってゆかなければならない。」–小松彦三郎
「自分なりの数学」を作るのである。学んだ知識と論理を生かすときである。そうして、
「この証明カッコよすぎ.」 —斎藤毅
と、わくわくできるようになればこっちのものである。
という風に数学を学んでいきたいものである。しかし、
「数学の持つ鋭い魅力は人に伝えようとしてできるものではない。数学は面白いから面白いのであって、説明する必要など少しもないのである。」「人を窒息させるそのような言い方はもうやめよう。」–飯高茂
である。この辺で筆を置こう。
何しろ、こんな長文。大変な本を買ってしまったという印象である。これから、少しでも数学の学習が進歩するように願って。